うわあ。斎藤がショックを受けている。彼にしては珍しく前に出てきたな、とは思ったが、自分でもやり過ぎだと思ったらしい。何か言い訳するのかと思ったが、口を開いては、また閉じて、開いては閉じる。言葉にしようと思ったけど、それすら面倒臭いと言った感じ。机の上の書類に手を動かしながら。というか落ち込んでも手は動かすんだな。
「大丈夫か、斎藤。」
 そう尋ねると、彼は此方をギロリと睨む。だから、お前の睨み顔普通に怖いって。普段無表情な分、ギャップが半端ない。
「…風紀委員の後輩なら、睨んだら一発なのに。」
 何が一発なのだろう。いや、聞かないでおくけどさ。というか、言うことの聞かせ方が野生動物みたいだな。一昔前のうちの学校の風紀委員会では、普通にヤンキーみたいに喧嘩でいろいろ決めていたみたいだけど。斎藤ももしかしてその種類。いや、また彼のポジションわかんなくなってきた。

 それにしても、幸永は予想以上だった。予想以上に囲われていて、予想以上に小動物のような奴だった。斎藤の言葉をどう受け取ったのかは知らないが、昨日の今日では何も起きていない。あんなに睨まれても伝わらなかったのかな。それとも斎藤との出会いイベントとして処理したのかな。
 斎藤は大きく息を吐く。…いや息長いな。それで自分を落ち着けようとしているようで、それが終わるとどうにもいつも通りの何を考えているかわからない彼に戻る。
「上内。斎藤。次はどうしないといけないか考えないと。」
 田代の言葉に俺は頷く。まあ、それが先決。文化祭準備は地味に進めているけれど終わっていないことが多過ぎる。
「…可笑しいな。斎藤は確かにストレート過ぎたけど、反省してやってくるかと思ったら。」
 俺の言葉に斎藤は姿勢を崩さず考える。
 コンコンと扉をノックする音が聞こえる。俺が返事をする前に動き出す扉を見て、ため息をつく。こういう時は、いつも、風紀委員。きっと新学期なのに会長が来ていないことを文句言いに来たんだ。そう思って田代と俺は頭を下げる。

 と、そこに現れたのは、いつもの筋肉質でしっかりとした肩幅と身長を持った鎌田先輩ではなく。小柄で小動物みたいで少女漫画のキャラクターみたいな…幸永昭一郎。彼は扉に体半分を隠しながら、オズオズと言う。
「お、お仕事中すみません。幸永です。」
「え。幸永。」
「あ。幸永くんだ。」
 俺と田代は驚いた。噂をしたらなんとやら、って感じか。俺も田代も持っていた筆記用具を机の上に置く。
 斎藤は彼のことが嫌いなのか、トラウマ的なポジションに分類されてしまったのか。目が死んで真面目に仕事し始めた。いや、風紀委員のお前に仕事させてるって外に漏れるのどうかと思うから、今は手止めてていいのだけど。
 幸永はゆっくりと入る。それから扉を閉めた。
「ぼ、僕、昨日斎藤先輩に言われたこと、考えて。」
「あ、うん。」
 田代は少し優し気に彼の顔を伺う。俺や斎藤に対しては割と酷いと言うのに、田代も可愛らしい後輩に対しては優しいらしい。

「僕………このままだったらあの取り巻きに囲われてそのまま監禁されて一生を終えそうだなって。いや、刺されて死ぬのかな。」
 顔を真っ青にして、目を反らす。
「え。」
「幸永、くん。」
 ポカンとした俺と田代に彼は続ける。
「そうなんです。斎藤先輩の言う通りなんです。カルト集団みたいなんです。部活行ってください、とか、委員会とか生徒会行って下さいって言っても言うこと聞かないんです。ただ、「お仕事してきてくださいよ、ハート」とかは絶対に言いたくないんですよ。自分のポジションを認めるようで。怒らせたくないんでヘラヘラ笑ってるしかできないんです。」
「…幸永くん、あの取り巻きの手前、昨日はああだったんだ。」
 そりゃ刺されたくねえもんな。それに先輩だもんな。全力で拒否とかはできねえか。どうすればいいかわからなくなるな。確かにあの取り巻き連中先輩方が多かった。一年なんて先輩か同級生しかいないからしょうがないけど。
「あの後、散々、「僕は上内先輩とか斎藤先輩みたいに淡々と仕事をする職人みたいな人、カッコいいと思う」ってフォローしておきましたから。」
「あれ、幸永。お前それなんか、俺と斎藤に火の粉降りかかってないかな。」
「人間関係って怖いですね。」
 幸永はカッと目を見開いて下を向く。いやいやいや。コイツ思った以上に思い悩んでいた。明るいとか聞いてたけど闇いくつも抱えてるタイプじゃねえか。田代が自分の近くの席に座るように言う。
 そこに座らせると、冷蔵庫から麦茶を用意し、彼の前に紙コップを置いて注ぐ。幸永はそれを受け取ると、萌え袖のまま両手で包み込み、飲んだ。
 ちなみにうちの高校の夏服は、長袖ワイシャツにネクタイか開襟シャツ。加えてベストも着用可だ。田代と幸永は長袖シャツにネクタイで、どうにも夏でもかっちり着ているように見える。俺は暑がりだし、斎藤も暑かったら溶けそうな顔をしているせいか、開襟シャツを着ている。
 すると、斎藤はポツリと言う。
「袖。腕まくりするか、そのままきちんと手を出すか、どちらかにしろ。」
 彼は風紀委員だから。制服の正しい着方は、きちんと注意するらしい。
「あ、はい。」
 幸永は頷いて、シャツをまくる。そして、また紙コップを手に取り下を向く。

「文化祭準備、僕のせいでいろいろ面倒臭いことになっているのはよくわかりました。僕、一年生なので実際どういうものなのかはわからないのですが、三人方が疲れているのはわかります。」
「幸永ってバカじゃなかったんだな。」
 斎藤が辛辣だ。幸永は全く気にしていないのか、そのまま言葉を続ける。
「でも、僕が言ってもどうにかなる連中じゃありません。」
「ああ、ごめんな。幸永。俺が思った以上にバカだったんだ。岩崎を始めとした残りの生徒会の連中。」
 それだけ言って、昨日の様子を思いだす。二年が刃向かって来るのは予想したけど、まさか一年は大人しく帰ってくると思った。あそこまでストレートに反発されるとは思わなかった。俺、中学の時バスケ部だったけど、バスケ部の頃で一年共の反論が帰ってきたら数倍になって反論していただろう。俺、丸くなったのかな。
 すると、斎藤は無表情のまま顔をあげた。

「もういっそ、幸永自身と、…幸永の幼馴染って言う才川と二人をここに呼んで仕事させよう。人出はあった方がいいし、どうせ文化祭の後総選挙なんだ。上内と田代+二人+他の真面目な生徒呼んで来れば、残りの任期なんとかなる。」

 俺と田代は斎藤をジト目で見る。
「斎藤くん。あんまり総選挙の話しないで。現実って一番辛いの。」
「そんな気がしてたけど、言わないで。今いろんな現実ダイレクトに受け止める自信ないから。」
 斎藤はそう、とだけ呟いて口を閉じる。思ってたけど、斎藤って真面目熱血風紀委員とは違うけど、問題抱えてるよな。…いろいろ。
 幸永はオロオロしている。田代は、幸永の方を見る。

「それで。幸永くんはどうしようと思って、ここに来たの。」
 彼女の言葉に俺は口を閉じる。そうだ。幸永は今自分の意思で何か変えようと思ってここに来ている。きっと、学校の為とか俺たちの為とかそんなことの前に、何かを変えようと思って。
 俺たちは壊れかけとはいえ、生徒会。一般生徒の中から選挙で決められた一部の生徒。だから、生徒代表なのだ。こんな小さな後輩が何かの意思を示すと言うのなら聞いてやろうと思うのが生徒会だ。
 彼は、ゆっくりと口を開いた。
「斎藤さんの意見と似ています。…文化祭の後のこととか考えてはいなんですけど。」
「いや、いいよ。話して。」
 俺はズイと、前に乗り出す。
「僕が生徒会室で仕事を手伝っていたら、嫌でも生徒会の人たち、仕事すると思うんです。」

「どうかな。」
 田代の言葉に俺も考える。確かに、来るだろうけど、仕事はするのだろうか。
「根本が変わってないよね。だって、幸永くんが部活とか生徒会行きなさいって言っても言うこと聞かず囲ってるような連中なんでしょ。」
「田代の言う通りだな。寧ろ生徒会以外の連中が生徒会室で何もせずに屯されたら、此方だって邪魔で仕方ない。」
 彼は下を向く。それから、紙コップを置いて、拳を握りしめた。
「僕、もうどうすればいいかわからないんです。でも、このまま生徒会の皆さんに迷惑かけたくない。」
 震える湿っぽい声。泣くのだろうか。いや、泣く寸前なのかもしれない。彼は、どうすればいいか分からなくなっている。自分の状況を認めたくない。でも、何にも好転しない。このままじゃ、みんなに迷惑をかけるかもしれない。いや、既に迷惑をかけていることを彼は知っている。
 下を向き必死で彼は堪える。涙は零さない。もしかしたら元々泣き虫なのだろう。高校生にもなって泣き虫だなんて、彼自身恥ずかしいと思っているのかもしれない。

「不特定多数に好かれたっていいことない。」
 彼の呟いた言葉は実に説得力がある。俺は彼を恋愛ゲームの主人公と例えたけれど、確かにそうだ。一人の女の子を好きになり、向こうにも好きになってもらう。そういう恋愛に誰もが憧れる。確かに誰か大勢に好かれても、結局自分はその大勢に愛を返すことは出来ない。
彼らを友達だと思おうとしていたのかもしれない。けれど、あそこまで囲われるという不思議な状況。彼自身原因も分からないし、それ以外の人たちからの目が怖い。
「生徒会と風紀委員会は仲が悪いけど。」
 俺はポツリと呟く。その場に居たみんなが下げていた視線が、此方へ向く。
「風紀委員会の嫌味で、生徒会も学んだことがあるんだ。」
「上内先輩。」
「ごくごく最近で言えば…、いくら仕事が遅れていてもそれを理解しなきゃ前に進めないってことだ。」

 鎌田先輩の言葉は、客観論だった。中で居たなら、目の前のことに必死だけど、人に言われたら仕事が遅れていると言うことをきちんと理解できた。現実を突きつけられた、と言った方が正しいだろう。俺と田代でこのままじゃダメだという意識が持てて、でも、風紀委員に頼るのは嫌だと思った。だから、目標を立てて、リストアップして、効率を考えた。
 俺は昨日まとめた、文化祭までの日付が書かれたカレンダーを彼に見せた。

「俺たちには、ここの限られた時間がある。そして目標がある。」
 壁に貼られた「文化祭成功させる」という明確な目標。
「で、その目標を達成するには何が必要かって考えた。」
 壁の一日のノルマが書かれたリスト。今までの紙では、できたところに黒マジックで消してある。
「今、お前はいろいろごちゃごちゃになっているみたいだけど、一度客観的に見てみるのが良い。文字に書きだしてみたら良くも悪くもしっかりわかる。」
 もしかしたら、実にしょうもないことかもしれない。もしかしたら、面倒臭くて目標の期間までに終わらないことなのかもしれない。それでも、全体を見なきゃ前になんて進めない。

 俺の言葉に田代は要らないコピーの裏紙を幸永の前に置く。そして、黒マジックも。
「こういう時はマジックで思いっきり書き出してみるのがいいかも。何が問題なのか、とか、何が嫌なのか、とか。どういうことをしたいのか、とか。」
 彼女は軽く笑う。
「生徒会は、生徒の相談も受けてるの。頭の中まとまるまで、ここの紙使っていいから。」
コピー機の隣にある裏紙入れの箱を指さした彼女に、幸永はゆっくりと頷く。
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