生徒会室へ行くと、そこには風紀委員の斎藤隼太先輩しかいなかった。いつも座っている上内先輩がいない。
「失礼します。斎藤先輩、上内先輩は。」
「…明川連れ戻すって。」
「ああ。なるほど。」
 僕はそう言って、席に座る。明川先輩とは、生徒会会計のちょっとよくわからない人である。大の数学好き。それ以外にも理系は物凄く好き。会計という役職は、まあ確かに予算の計算とか多いけれど、それに惹かれて立候補したらしい。いや、普通の雑務もあるって。計算に関しては、それ暗算で出来るのすごいねってくらいは出来る。あの理系チートの称号を欲しいがままにした先輩が、幸永昭一郎に惚れたなんだの言われているのには正直驚いた。そう言えば、僕が昭一郎の近くで居た時、明川先輩居たっけ。いなかったよな。
「田代先輩はまだ柊のところですか。」
「らしい。」
「じゃあ、昭一郎のこと聞きましたか。」
「いや。」
「今日一時間だけ生物部に顔を出すって。もしかしたら帰って来れないかもしれないけど、頑張って帰ってくるって。」
「ああ。」
 昭一郎が生物室に行くと言うことは、自ら、居場所を明かすようなもの。生徒会室にいることはまだあの取り巻きたちは知らないけれど、生物室なら知っている。大体取り巻きの中に生物教師、松倉譲の姿もあるから。アイツが一時間で戻ってくるとは初めから思っていない。押しに弱いアイツが僕を振ったことでさえ、驚きなのに。
 斎藤先輩はいつも通りもくもくと仕事をしている。正直人数が居ないとやる気が起きない。だが、風紀委員の仕事もあるのに、ここに来てくれている彼を見ているとやらざるを得ない。それに帰って来てノルマが終わって居なかったら上内先輩に怒られる。
 いつも通り筆記用具を机の上に並べてたところで、ふと斎藤先輩の方を見る。彼は昨日鎌田先輩に大量の風紀委員のファイルを渡されて、それを整理しなくてはいけないと言っていた。なのに、やっていることは、生徒会の仕事。
「あれ。風紀委員の仕事、いいんですか。」
「ああ。」
「昨日戦力になれないって嘆いてたのは誰ですか。手伝ってくれるのは有難いですが、やることやってなくて怒られるのは生徒会なんですよ。」
 嫌味を込めてそう言うと、彼はいや、と小さな声で言う。
「頑張ったら、終わる。」
「じゃあ、今頑張って下さいよ。…大体帰宅してからするにしてもいつやるんですか。」
 大体生徒会室を絞めるのは八時を回っている。僕も日課の勉強を睡眠時間削ってやっているのに、この人は勉強の時間も取れないだろう。
「金森、心配してくれてんの。」
 ジッと此方を見られる。斎藤先輩は真っ直ぐ僕の目を見た。前から思っていたけれど、何故上内先輩と斎藤先輩が仲がいいのかわからない。常に無表情で何に興味があるのかとか何が好きなのかとかそういうこと一切わからない。今だって、真っ黒の彼の目は吸い込まれそうなほど、ただの黒だった。笑ったりとかするのかな。
「違いますよ。」
 何故か心の内まで見られているような気がして、目を反らした。長袖のワイシャツの袖のボタンをあけて、袖をまくりあげる。書き仕事が多いため、シャーペンの芯のカスで黒く汚れたくなかったし。
 これほど静かな生徒会室、初めてかもしれない。選挙があって、すぐくらいは、結構騒がしかったのだ。岩崎会長が騒いで、それに上内先輩がツッコミを入れる。仕事をしたいと騒ぐ柊を田代先輩が宥めて。ああ、僕はいつも岩崎先輩に嫌味を言いまくって怒りを買っていたか。泉先輩はマイペース過ぎたな。明川先輩はマイペースだけど、急に謝りだしていた。確か。
正直振られたばかりで、昭一郎がここでいるのは気まずかった。それを上内先輩に言えばきっとなんとかしてくれるだろうけど、敢えて言わない。先輩は僕の優秀さを買ってくれているのに、そんな我儘言えない。それに、先輩のせいで大泣きして、仕事漬けの毎日を過ごしていると不思議と吹っ切れたような気がする。先輩に謝りに行くまでは、少しは失恋のショックに浸らせろと思ったけど、浸る前に日常にシフトチェンジしていた。


 扉をノックする音が聞こえる。斎藤先輩は、反射的に今持っている書類の上に風紀委員のファイルを広げる。返事をする前に、扉が開く。せめて名前言えよ。と思っていると、そこに現れたのは昨日の今日で風紀委員長、鎌田先輩。
「せめて、声をかけてから開けるのがルールじゃないですか。」
「それはすまなかった、生徒会庶務金森史くん。」
 彼の言い方はとても嫌味。僕は軽くため息をついた。彼は穴を探すように周りを見渡す。
「上内くんは。」
 その言葉に、斎藤先輩は答える。
「演劇部に呼ばれてそちらへ行っています。岩崎もそちらです。」
「ああ、そうだったか。ここに居ないと思ったらそういうことなら仕方がない。」
 え、演劇部とか言っていいのか。後で調べられたら困るんじゃないか。そう思ったのだが、彼は随分堂々としているので、黙っておくことにする。すると、鎌田先輩は斎藤先輩の隣の席に座る。そして、斎藤先輩の方を見た。
 なんだ。生徒会に何か用事があったんじゃないのか。斎藤先輩も不思議に思ったのか、ゆっくりとそちらに目を向ける。

「斎藤。お前は俺に何か黙っていることがあるだろう。」
 僕は思わず奥歯を噛みしめた。何か要らないことを言ってしまいそうで、でも黙っておくために。斎藤先輩は表情すら変えずに彼の方を見る。紙を捲る音すら聞こえない室内において、緊張感に溢れていた。彼は口を開く。
「あ、八月三十一日が誕生日でしたっけ。誕生日おめでとうございます。」
 僕は思わずズルッと滑って机の上に頭をぶつけた。ニコニコと笑っていた鎌田先輩もポカンと口を開いている。
「いや、確かにそうだが。」
「そんなに俺に誕生日おめでとう、と言って欲しかったんですか。」
「違うわ、バカタレ。そういうことじゃないわ。」
「俺の誕生日は六月ですよ。」
「誕生日じゃない。お前は何故そっちだと思った。」
「じゃあなんですか。いくら俺が風紀委員だとしても秘密が一つや二つ。」
「個人的な話じゃない。お前おちょくってるだろ。」
 呆れたような彼に僕はぶつけた額を押さえながら起き上がる。斎藤先輩はふうと一息ついて彼の方に体を向ける。
「何の話ですか。」
「もういい。」
 鎌田先輩は立ち上がる。なんというか、斎藤先輩が生徒会に庇って嘘をついていたということは突きとおせたようではある。彼はスタスタと扉の方へ歩いて行く。
「あれ。それだけなんですか。貴方受験生でしょう。いいんですかそんな時間の使い方で。」
「煩い。俺は推薦で合格済みだ。」
「それは失礼。」
 嫌味を言ったつもりだったのだが流石風紀委員長。完璧すぎて腹が立つ。彼は、扉に手をかける。と、ふと思い出したように振り向く。

「斎藤。」
「はい。」
 斎藤先輩はいつも通り返事をする。疚しいことなんて何もないように。
「黙っておくのが友情ではない。」
「何の話ですか。」
「仮にお前が黙っていることで生徒会が生き延びたとして、本当にそれは正しいのか。」
「…正しい、とは。」
 鎌田先輩は静かに斎藤先輩を見降ろした。

「また変なものに巻き込まれて、身動きが取れなくなるのはお前だ。考えて行動しろ。」

 また。とはどういうことだ。
 鎌田先輩は歩き出す、扉を開けて、外へ出る。その彼に向かって、斎藤先輩は言う。

「言われずとも。」

 この会話が何を表しているかわからないが、斎藤先輩はいつもよりもピリピリしていた。無表情には変わりないけれど、どうにも儚くて消えてしまいそうな横顔。閉じてしまった扉を暫く眺めて、それから彼は仕事に戻る。風紀委員のファイルを閉じて、シャーペンを握りしめる。
 僕に何も聞くなと言う風に、いつもよりも下を向いていた。


 昔何に巻き込まれたのか。風紀委員長は何故そのことだけを言いに来たのか。昨日来た時も思ったが、鎌田先輩は斎藤先輩のことを同じ委員会の後輩、という以上に心配しているように思う。大体斎藤先輩が風紀委員なことも不思議だ。この前はなりゆき、と言っていたのだが、さっきの二人を見ればなりゆきと言うにはいろいろありそうな。
 僕は考えつつも手を動かす。時計の針の音と紙にペンの芯を擦りつける音。あと時たま紙を捲る音が聞こえるくらい。遠くから野球部の声を出す音と、吹奏楽部の音。

 彼が監査に来た時のことを僕は知らない。知らないけれど、来たら何故か上内先輩と田代先輩に加え、斎藤先輩がいて、昭一郎もいた。監査と聞いていたけれど、彼は随分生徒会に協力的で、雑用をやってくれるだけでなく、風紀委員に嘘まで報告している。岩崎会長が戻ってきていることにしてくれたり、仕事は順調に終わっていると報告していたり。戻ってきたのは今のところ俺だけだし、仕事だってある意味順調だけど毎日修羅場だ。こんな面倒臭い仕事、投げ出して鎌田先輩にチクればいいものを。
 上内先輩に恩でもあるのだろうか。同じクラスだとは聞いていたけれど、それほど仲が良さそうには思えない。二人の会話、と言うよりも上内先輩と田代先輩の会話に一言添えるくらいがいつも通り。基本的に無表情で何を考えているかわからない。大体、気が合うのだろうか。上内先輩は結構喋るイメージだけど、斎藤先輩は喋るのでさえ面倒臭がる。少し前風紀委員の山下先輩に「声を張れ」と怒られているのを見た。

「あの、斎藤先輩。」
 彼は此方を見る。
「さっきの、なんだったんですか。」
 僕の言葉に、彼は面倒臭そうに口を開く。喋ろうとして、声が出なかったのが、少し咳ばらいをした。
「…知らない。」
 随分カスカスの声で彼は言う。
「大体、なんでここまで生徒会の手伝いしてくれるんですか。有難いとは思いますけど、…その、…いいんですか。」

 僕も含めて、責任を果たせない生徒会なら総選挙されてもしょうがないと思う。田代先輩や上内先輩は嫌だと言うだろうけれど、風紀委員の立場ならそう思うのも当然。学校の為にならないここが生き残ることに意味を感じていないだろう。僕だって文化祭を成功させたい気持ちはある。でも、その後の解散は仕方がないと思う。総選挙するにしても、どうせ文化祭後。
 彼はジッと僕の目を見て、それから言う。
「金森には関係ない。」
「関係ないって。」
 僕はシャーペンを握りしめた。関係ないってどういうことだ。怒鳴ってやろうか。

 廊下を走る音、ガラリと扉が開き、そして、誰かが滑り込むと扉を閉める。
「幸永昭一郎。無事、帰還しました。」
 大きな声。満面の笑み。綺麗に決まった敬礼。

 僕は思わず机に額をぶつけた。急に入ってきた人にとって、室内の空気なんてわかるはずないのも無理もない。
「金森くん見てみて。僕ちゃんと撒けたよ。やればできるもんなんだね。」
 楽しそうなことだ。僕の肩を揺らす彼の手を思いっきり振り払う。
「煩いな。」
「あれ、上内先輩は。」
「明川先輩呼びに行ったよ。…たく。」
 そう言って、書類に向き直る。斎藤先輩に文句を言ってやろうかと思ったが、もうやめておこう。昭一郎に説明するのも面倒臭いし。と、斎藤先輩は静かに告げる。
「幸永。廊下走るな。」
「あ、ごめんなさーい。」
 注意の声小さすぎて注意する気あるのだろうか。


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