正直仕事をしろと文句を言ってやりたい。だが、今は夏休みだし、連絡は無視されるし、家は知らないし、押しかけるつもりもない。取り敢えず今出来ることを着実に終わらせ、新学期になったら働いてもらおう。
 確かに今は山ほど書類に溢れているが、新学期にみんなが来てくれれば何とかなりそうではある。昨日風紀委員長の鎌田先輩に文句を言われたせいで気弱になっていたのだが、カレンダーと例年の仕事状況を比べて、新学期までにこの書類の整理が終わればなんとかなりそうだと言うことがわかった。予定を確認して、リスト化してみるとわかりやすいものだ。生徒手帳のスケジュール欄を愛用していたのだが、田代のように大きくて見やすいスケジュール帳を買った方がいいのかもしれないと思えてくる。

 蝉の声が煩い。八月もあと一週間だと言うのに、熱さは終わらない。それどころか、この前は最高気温が観測されたとか天気予報で言っていた。有難いことに生徒会室には冷房が効いていて、ある程度快適な環境ではある。何代か前の先輩が持って来た小さな冷蔵庫のお蔭で飲み物も冷やせるし、これまた何代か前の先輩が持って来た小さな扇風機のお蔭で空気も循環している。夏特有のじんわりと火照った体も、外よりかは幾分かマシだ。
 昨日の帰りにコピー用紙に書いて、壁に張ったリストを見ているとなんとなく焦りは引いた。田代も俺も、終わりが見えない不安から焦っていたらしい。
 昨日、風紀委員長が帰ってから、田代と話した。今、ダラダラと会長たちが来るのか来ないのかわからない状態は、此方にとってもキツイ。
「連絡取れないなら、もういっその事九月一日までは私たちだけでやろう。」
 田代の言葉に俺も同意見だった。来いと尻を叩くのもそれだけで体力を使う。そんな気を回す暇があれば、今のうちにしなければならないことを必死に終わらせて、新学期本人たちに直接言った方が、効率が良い。確かに風紀委員会に頼めば話は早いが、その後生徒会に携われないというのは勘弁してほしい。俺も田代も好きでこの仕事をしているのだ。

「今日のノルマ、終わりそうかな。」
「なんとか。ギリギリ…だね。」
 そう言いながらも書類をまとめる。
 きっと、風紀委員長は生徒会室の書類を見て、思ったのだろう。例年よりも遅れている、と。昨日訪れたのは別に嫌味が言いたかったからではない。仕事の進み具合を直接確認したかったのだろう。
 今、ここに来られたらきっとすぐにわかってしまう。壁にリストを張り出しているし、終わったものから黒ペンで消しているし。ただ、前よりも進む効率は上がっている気がする。風紀委員の嫌味から、やり方を変えた、というのが少し気に食わないけど。

 すると、静かに仕事をしていた田代があ、と声を上げる。
「しまった。風紀委員会に渡す書類あるのに、昨日持って帰ってもらえばよかった。」
 彼女はそう呟くと此方を向く。俺は思わず目が合うのを恐れて下を向く。
「上内。」
「田代、頼む。息抜きに持って行ってこいよ。」
「嫌だよ。上内が行ってよ。」
「昨日の今日で会いたくないし。」
「私だって同じだよ。」
 出来れば会いたくないのが本音。顔を上げると田代は不機嫌そうだ。彼女は俺の隣に立つと、書類を机の上に置いて、拳を握りしめた。
「じゃんけんしよう。勿論じゃんけんの勝ちイコール勝ちのやつ。負けた方が持って行く。」
なるほど、じゃんけんで勝負をつけようというのか。俺も拳を握りしめた。
「いいだろう。…そうだ。初めに行っておくけど、三回勝負な。それ以上もそれ以下も求めない。」
「うん。問題なし。」
 お互い光にかざしたり、手をねじ繰り回したりといろいろ忙しい。初めにルールを決めておくのは生徒会の暗黙の了解的なものだ。たまにじゃんけん後に勝った人がする、とか、三回勝負だ、とかそういうことが起きる。けど、それは面倒臭い。初めにルールを決めておけば、文句も言われないし、こっちも言えない。後腐れなくしたいのは、誰もが同じだ。

「じゃんけん。」
「ほい。」



 結論から言うと、俺がプリントを風紀委員会室へ持って行くことになった。
 風紀委員会は基本的に常に活動している。他の学校のそれがどういうものかはわからないが、うちのは学園の警察的組織だと言える。〈自由〉〈自主〉〈協調〉が目標な桜町中央高校は、県内でも有名な個性的な学校だ。校内の活動のほとんどを委員会や生徒会で回し、それで社会生活を学ぶ。出来る限りの救護や保健指導を行う保健委員会や、体育用具の管理や体育祭の実行を行う体育委員会。学校の資料を管理研究する図書委員会、生徒会選挙のすべてを取り仕切る選挙管理委員会などなど。その中で、校則を守る番人と言えば、風紀委員会。故に、校内に誰か居る時は必ずと言っていいほど風紀委員会の誰かがいる。
 流石に休日は誰もいないのだろうが、文化祭前で多くの生徒が登校する今ならきっと風紀委員会室には誰かがいる。

 北棟の一階に位置する風紀委員会室は、常に冷たい。日が入りにくい場所に位置するためか、一番北東側の風紀室が一番寒い。冬には風紀委員会指定の黒パーカーを着ているのだが、それがあっても部屋に居たら寒いだろう。
 ただ、夏には有難い涼しさだ。

 風紀室の前に行こうと思い、右を向いた途端、驚いた。風紀室の前の廊下で、誰かが蹲っている。開襟のカッターシャツにズボン。腕には「風紀委員会」の腕章をつけている。近づいていて見るとその男子生徒は泣いているわけではなく、寝ているわけでもない。ただ、蹲って下を向いている。これは話しかけていいものか。これを無視して風紀室に入っていいものかもわからないし、もしかしたら風紀委員会の闇的な何かで無視したらいけないのかもしれない。いや、闇ってなんだ。
 ジッと観察していると、男子は少し動く。そして、ゆっくりと顔を上げる。何を考えているのかわからない瞳に、白い肌。ふと、真っ黒の目と目が合って、驚く。彼はあ、と口を開きそれから口を閉じる。

「斎藤。」
 俺が声をかけると彼は頷く。斎藤は風紀委員らしくない。熱血で、真面目、であからさまな優等生が多い中、斎藤は熱血ではないし、真面目だけどあからさまではない。何を考えているのかわからず、本当に彼は風紀委員の仕事が出来ているのだろうかと不安になるほど、のんびりしている。
 ふと俺の頭の中に過る。もしかして、風紀委員らしくないから、風紀委員会でいじめられて部屋を追い出されたのではないか。謝って中に入れてもらう気にもなれず、ここで今まで蹲っていた。
 俺は思わず彼の両肩に手を置く。
「もしかして、鎌田先輩とか山下とか…他の風紀委員に追いだされたのか。」
「いや。…………うん。」
 少し考えて、目を反らして、頷いた。あれ、これってもしかして、喋るのが面倒臭くてそういうことにしておこう、ということだろうか。
「え、マジで追い出されたの。」
「いや。違うけど。」
「じゃあ、なんでここで蹲ってんの。」
 いや、もしかしたら人に言えない何かがあって、皆に合われる顔が無いから外にいるのか。と斎藤は面倒臭そうに言う。
「中、人口密度高くて暑い。」
「………あ、うん。」
「暇になったし、外出てていいって言われたから。」
「そっか。ある意味追い出されてるか。」
 ま、そうだよな。今思ったら、コイツは喋るのが面倒臭いだけで、余り周りのことを気にしない。例え、追い出されたとしても、泣くようなやつではない。斎藤は足を崩して、尋ねる。

「何か用。」
「あ、そうだ。」
 持っていた書類を斎藤に渡す。
「俺、鎌田先輩に会いたくないし、渡しといて。」
 斎藤は一番上の紙の題名を見る。
「…文化祭当日の委員会の活動について。…これって直接委員長に話した方がいいんじゃないか。」
 彼の言葉にああそうかと頷く。
「あ、そうか。」
「疲れてんのはわかるけど、仕事はちゃんとしろ。」
「そうだよな。」
 嫌味を言われるよりも辛い。諭される方が。
 斎藤は書類を持ったままゆっくりと立ち上がる。アイタタといいながら、伸びをする。なんか猫みたいだ、コイツは。立ち上がった彼は、俺とほぼ身長が変わらない筈なのにどうにも背が高く見える。きっと、コイツは猫みたいな癖に背筋は伸びてて、細いから。ひょろ長いと言った感じだ。
 彼は風紀室の前に立つ。それから、俺をそちらに手招きして、丁寧に扉をノックした。
「鎌田委員長、二年四組斎藤です。」
「生徒会副会長、上内十草です。」
「入れ。」
「失礼します。」

 風紀室はその少し寒い空気や雰囲気から緊張する。他と同じ扉だと言うのに。自然体な斎藤が不思議な位俺は姿勢を正した。
 斎藤が扉を開き、それを俺が追いかける。扉を閉めて、中に入っていき、一番奥の風紀委員長の席の前に俺と斎藤は立つ。事務室のように長机がいくつも並べられ、そこで何人かが仕事をしている。真面目な人が集まっているからか、特に私語もなく、会話と言ってもこれはどうしたらいい、と言った仕事の話ばかり。
 鎌田先輩は、持っていた書類を置いて、ゆっくり立ち上がる。
「昨日ぶり、副会長。」
「こんにちは。鎌田先輩。」
「今日はなんの用事。」
「文化祭当日についての書類です。」
 俺がそういうと、斎藤は先輩の方に向けてそれを手渡す。先輩はそれを受け取るとなるほど、と頷く。
「九月十日が締め切りで、そのあと随時変更があればお知らせください。十日までには、今わかる限り書いていただければいいので。」
「…了解。これは去年あったのと同じだな。」
「はい。粗方の動きを記していただければ、それに合わせてステージ、教室、校庭の予定をお渡ししたいと思います。」
「わかった。…おい、斎藤。聞いたか、来年のお前も提出する書類なんだから。」
 鎌田先輩の言葉に隣に立っていた斎藤は頷く。と、鎌田先輩は眉を下げる。
「声に出して、返事をしろ。」
「はい。」
「お前は口を開くのを面倒臭がるけど、声に出さんと伝わらんぞ。」
「はい…すみません。」
 素直に謝る斎藤と鎌田先輩の様子を見て、俺は再びプリントに目を向ける。
「大体のことはそれを見れば分かる筈ですので省略させていただきます。何かわからないことがあれば、いつでも聞いて頂ければお答えしますよ。」
「ああ、わかった。…じゃあ、質問いいか。」
 早速だ。そう思って、先輩の方を見ると、彼はプリントを置いてにこやかに尋ねる。
「…仕事のやり方を考えたか。昨日のような仕事ぶりなら九月の半ばには見かねて介入しなければならなくなる。」
「それに関しては、田代と話し合ったので大丈夫です。」
「そうか。そうか。」
 満足そうに頷く。それから、此方を睨む。
「そうだな。だけど、俺は今年の岩崎生徒会がどうにも気に食わない。去年の向田生徒会も気に食わないが。」
「委員長いつも気に食わないじゃないですか。」
「まあな。」
 斎藤の言葉に、随分楽しそうに言う。
「今の生徒会は不安だから、…監査役として、風紀委員の一人を寄越していいか。」

 この小姑みたいな男、どうにかして欲しい。思いっきり眉をひそめた。
「そこまで風紀委員会に介入されるほどでしょうか。」
「おや、今の現状を副会長はわかっていないのか。」
「鎌田風紀委員長が心配症なのでは。杞憂ですよ。」
 風紀委員なんかが生徒会室に来られたら、俺も田代も仕事が辛すぎる。どうせ風紀委員なんて鎌田の息がかかった奴らばっかりなのだ。何もしないで、見てる人がいるなら手伝えって話だし。確かに一人一人は嫌じゃない。でも、部屋の中に居る風紀委員の人々を見ても思うが堅い人ばかりだ。堅実とは聞こえがいいが、要は変化に耐えられない。委員長か副委員長は毎年器用な人が入るのだが、全体はいつもまっすぐすぎる。俺から見れば面白みがない。
 部屋の中を見渡す途中、ふと、隣に立つ斎藤と目が合う。彼は何故こっちを見ているのだと不思議そう。
 鎌田先輩は目を閉じて、あからさまに眉を下げる。

「杞憂か。…監査役を納得させれば、生徒会解散から足遠くなれるものを。」
「それほど言うのなら、監査役。構いませんよ。」
「ほう。」
 売り言葉に買い言葉のように聞こえるだろう。罠にかかったと言わんばかりに喜ぶ鎌田先輩を見て、俺は頷く。
「はい。構いません。その代わり、監査役は、この斎藤隼太がいいです。」
「斎藤…。」
 俺と鎌田先輩が斎藤の方を向いたとき本人はやっぱり何を考えているかわからない表情で瞬きをした。
「斎藤。お前、指名されたぞ。」
「…なんでですか。」
 面倒臭そうに彼は言う。鎌田先輩はそんな斎藤を見てため息をつく。
「なんでじゃない。折角副会長が指名したんだから、この話、受けなさい。」
「準備期間の外部業者出入校のリスト作りと、当日駐車場についての諸々。」
「…山下と池井に任せていいから、お前は生徒会の方へ行きなさい。」
「風紀委員って指名制なんですか。」
「いや、そういう意味じゃないが。…いいだろ。」
 斎藤はそれを聞いて頷く。
「わかりました。」
「お前は本当に声を張らないな。」
「声、裏返るんです。」
「それは面倒臭がって、普段喋らないからだろ。」
「声帯が上手く響かないんです。」
「普通の人は余り意識しない器官だぞ。そこ。…まあいい。」
 斎藤は風紀委員らしくないとは思ったけど、風紀委員では結構な問題児なのかもしれない。困ったような顔をした鎌田先輩を見て、斎藤は気を付けをした。
「風紀委員、二年四組斎藤隼太。これより、文化祭準備期間、生徒会監査の役を任じる。」
「謹んでお受けします。」

 少し面倒臭そうな斎藤にほくそ笑む。他のお堅い風紀委員に比べ、斎藤なら面倒臭くない。

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